このページでは、遺留分権利者から遺留分侵害額の支払いを請求された方向けに、遺留分を請求された場合の対応について説明します。
はじめに:戦略的対応のフレームワーク
遺留分侵害額請求は、日本の民法が特定の相続人に保障する、極めて強力な法的権利です。特に内容証明郵便で送付された正式な請求を無視することは、必ずしも良い選択肢と言えません。問題を放置しても解決するケースは少なく、事態は家庭裁判所での調停や訴訟といった公式な法的手続きへとエスカレートし、最終的には財産の強制差押えという結果を招くおそれがあります 。したがって、請求を受けた側の対応は、計画性、戦略性をもって行われる必要があります。
本稿は、遺留分侵害額請求という困難な状況に直面した個人を対象に、体系的かつ包括的な対応指針を提供することを目的とします。そのプロセスは、以下の5つのフェーズに大別されます。
フェーズⅠ:初期対応と検証:請求を受け取った直後に行うべき初動対応と、請求そのものの法的有効性を厳密に検証します。
フェーズⅡ:請求内容の分解と対抗計算:請求者が提示する金額を鵜呑みにせず、法的な観点から資産を再評価し、独自の対抗計算を行います。
フェーズⅢ:交渉と反論の構築:対抗計算に基づき、戦略的な反論を組み立て、請求者との交渉に臨みます。
フェーズⅣ:紛争解決手段の実行:交渉が不調に終わった場合の法的手続きを理解し、実践します。
フェーズⅤ:支払いの実行:調整した支払い方法や期限にしたがって、確定した金額の支払いを行います。
このフレームワークに従うことで、感情的な対立を避け、冷静かつ効果的にこの課題に対処することが可能となります。
フェーズⅠ 初期対応と検証:行動計画
この最初のフェーズは、支払いを最小限に抑え、強固な防御基盤を確立することに主眼を置きます。請求を受けてからの数日から数週間の行動が、その後の展開を大きく左右します。
1.1 請求の受領:最初の一歩
遺留分侵害額請求の通知、特に「内容証明郵便(配達証明付)」で受け取った場合、それは単なる手紙以上の法的な意味を持ちます。これは、請求者が自身の要求を公式な記録として残し、法的手続きへの移行を視野に入れていることの明確なシグナルです 。請求者は、後述する消滅時効によって権利が失われるのを防ぐため、請求権を行使した日付を確定させる目的でこの方法を選択します。
このような状況で、以下のポイントを押さえます。
- 無視しないこと:請求を無視しても、権利そのものは消滅しません。むしろ、請求者が速やかに調停や訴訟といった法的手続きを開始する原因となります 。
- 安易な口頭での譲歩をしないこと:感情的な電話や会合で「支払います」「あなたの言う通りです」といった発言をすることは避けるべきです。このような発言は、法的に「債務の承認」と解釈される可能性があり、時効の進行がリセットされる(時効の更新)など、自身の法的な立場を弱める結果につながりかねません 。
- 請求額を鵜呑みにしないこと:請求者から提示された金額は、多くの場合、請求者の利益を最大化するように計算されています。それは最終的な支払額ではなく、あくまで交渉の出発点に過ぎません 。
1.2 請求の法的正当性の検証
金額の妥当性を検討する前に、まずその請求が法的に有効であるかを確認します。
1.2.1 請求者の権利の有無(請求権の確認)
遺留分を請求できる権利者は、民法によって厳格に定められています。請求者がこの範囲に含まれていなければ、請求そのものが無効となります。
- 遺留分権利者:遺留分を請求できるのは、被相続人の配偶者、子(その代襲相続人である孫などを含む)、そして直系尊属(父母や祖父母)に限られます 。
- 遺留分権利者ではない者:被相続人の**兄弟姉妹およびその子(甥・姪)**は、たとえ法定相続人であっても遺留分を請求する権利は一切ありません 。もし請求者が兄弟姉妹であれば、その請求は根拠を欠くものとして、ただちに拒絶することができます。
- 権利の喪失事由:遺留分権利者であっても、特定の事由によりその権利を失っている場合があります。
・相続放棄:請求者が家庭裁判所で正式に相続放棄の手続きを行っている場合、遺留分を含む一切の相続権を失います
・相続欠格・廃除:極めて稀なケースですが、相続欠格(被相続人に対する重大な犯罪行為など)や、被相続人の意思により家庭裁判所の審判を経て行われる廃除(虐待や重大な侮辱など)によって、相続権が剥奪されている場合も、遺留分を主張することはできません 。
1.2.2 時効:交渉の余地なき期限
遺留分の権利は、時間の経過によって消滅します。ここには独立した2つの時効期間が存在し、どちらか一方が経過した時点で権利は確定的に失われます 。
- 1年の短期消滅時効:遺留分権利者が、「相続の開始(被相続人の死亡)」と「自己の遺留分を侵害する贈与または遺贈があったこと」の両方を知った時から1年間、権利を行使しない場合に時効によって消滅します 。内容証明郵便の送付日は、この1年以内に権利が行使されたことを証明するための重要な証拠となります。
- 10年の除斥期間:遺留分権利者の認識とは無関係に、相続開始の時(被相続人の死亡日)から10年が経過すると、権利は完全に消滅します 。これは絶対的な期間であり、延長や中断は認められません。
これらの時効の確認は、極めて重要です。もし請求が時効期間経過後になされたものであれば、「時効の援用」(時効が成立したことによる利益を受ける意思表示)を行うことで、支払義務を完全に免れることができます。
1.2.3 請求後の新たな時効:5年の金銭債権時効
2019年7月1日の民法改正により、遺留分侵害額請求権は金銭債権(お金を請求する権利)として扱われるようになりました。これにより、もう一つの時効が関係してきます。請求者が内容証明郵便を送付するなどして有効に遺留分侵害額請求権を行使した時点で、その権利は具体的な金銭支払請求権に変わります。そして、この金銭債権には、権利を行使できることを知った時(請求時)から5年という新たな消滅時効が適用されます 。
この時効の存在は、請求された側にとって戦略的な意味を持ちます。請求者は権利を行使した後、5年以内に和解するか、調停や訴訟を提起するといった措置をとらなければ、その金銭債権自体が時効で消滅する可能性があるのです。逆に請求された側は、無期限に支払いを迫られる状況にはないということを意味し、交渉において時間的な猶予と一定の戦術的優位性を確保できます。
フェーズⅡ 請求内容の分析
請求が法的に有効であると確認された場合、次のステップは請求額そのものに挑むことです。請求者が提示する数字を無批判に受け入れるのではなく、対案を検討すべきです。
2.1 遺留分の割合:パーセンテージの正確な理解
遺留分の計算は、まず相続財産全体に占める遺留分の総枠(総体的遺留分)を確定し、それに各相続人の法定相続分を乗じて個別の取り分(個別的遺留分)を算出するという二段階のプロセスで行われます 。
- 総体的遺留分:
・相続人が直系尊属(父母・祖父母)のみの場合:相続財産の3分の1
・上記以外(配偶者や子が含まれる)の場合:相続財産の2分の1 - 個別的遺留分:
総体的遺留分に、請求者の法定相続分を乗じて算出します。
この割合の計算は、相続人の構成によって変動するため、正確な把握が不可欠です。請求者がこの割合を誤って計算しているケースも少なくないため、厳密な検証が求められます。
2.2 算定の基礎となる財産:真の戦場
遺留分計算の基礎となる財産の価額は、被相続人が死亡時に所有していた財産そのものではありません。その計算式は**「(A)相続開始時の財産 + (B)特定の生前贈与 - (C)債務」**となります 。請求額を左右する最大の争点は、この計算基礎に何を含め、何を除くかにあります。
2.2.1 (A) 相続開始時の財産
まず、被相続人が死亡した瞬間に所有していた全てのプラスの財産をリストアップし、評価する必要があります。この作業のために、包括的な財産目録を作成することが不可欠です 。
- 評価の基準時:財産の評価は、相続開始時(死亡時)の時価で行います。請求時や遺産分割時ではありません 。市場価格が変動する不動産などでは、この基準時が評価額に大きな影響を与えます。
- 原則として含まれない財産:
・生命保険金・死亡退職金:これらは、原則として受取人固有の財産とされ、遺留分算定の基礎財産には含まれません 。しかし、その金額が遺産総額に対して著しく高額で、相続人間の著しい不公平を生むと判断される場合には、例外的に特別受益に準ずるものとして算入される可能性があります。これは、裁判所の判断に委ねられる高度な論点です 。
・祭祀財産:墓地、墓石、仏壇といった祭祀に関する財産は、相続財産とは区別され、遺留分の計算対象外です 。
2.2.2 (B) 生前贈与の徹底的な分析
遺留分計算の核心部分は、生前に行われた贈与の取り扱いにあります。法律は、相続人間の公平を図るため、特定の贈与を相続財産に「持ち戻して」計算することを要求します。
- 相続人に対する贈与(特別受益):相続人に対して、相続開始前10年以内に行われた「婚姻若しくは養子縁組のため又は生計の資本として」の贈与は、特別受益として算定基礎に加えられます 。これには、住宅購入資金の援助、事業の開業資金、扶養義務の範囲を超える高額な学費などが該当します。
- 相続人以外への贈与:相続人以外の第三者(友人、知人、法人など)に対して、相続開始前1年以内に行われた贈与は、算定基礎に加えられます 。
- 「悪意」の贈与に関する例外:贈与の時期や相手が誰であるかにかかわらず、贈与者(被相続人)と受贈者の双方が、その贈与が遺留分権利者の権利を侵害することを知りながら(悪意で)行った場合、その贈与は期間の制限なく算定基礎に加えられます 。ただし、この「悪意」の立証責任は請求者側にあり、その証明は一般的には困難です。
2.2.3 (C) 債務の控除
被相続人が負っていた法的に有効な全ての債務は、財産総額から控除されます。これには、借入金、未払いの医療費、税金の滞納分などが含まれます 。
- 控除できない費用:葬儀費用は、相続開始後に発生する費用であり、喪主が負担すべきものと解釈されるため、被相続人の債務として遺留分算定の基礎財産から控除することはできません 。
この計算のプロセスは、請求された側にとって極めて重要です。
請求者は、算定基礎となる財産を最大化しようと試みます。一方、請求された側は、(A)財産の評価額を適正に査定し、(B)持ち戻すべき贈与の範囲を厳密に解釈し、(C)控除可能な債務を漏れなく計上することで、支払うべき金額を法的に正当な範囲まで引き下げることが可能となります。特に、請求者自身が過去に受けた「特別受益」を徹底的に調査し、それを請求者の最終的な取り分から控除することが、最も効果的な防御策の一つとなります。
フェーズⅢ 戦略的対応の策定:反論と交渉
請求の正当性を検証し、独自の計算を終えたら、次はいよいよ請求に対して積極的に反論し、交渉に臨むフェーズです。ここでの目標は、法的に根拠のある主張を通じて、支払うべき金額を減額することにあります。
3.1 主要な戦場:資産評価額の争い
現金以外の資産、特に不動産の評価額は、客観的な事実ではなく、評価方法によって大きく変動する主観的な要素を含みます。そのため、資産評価は遺留分を巡る交渉において最も激しい争点となります 。
- 不動産評価を巡る対立構造:
・請求者側の論理(高額評価):請求者は、受け取る金額を最大化するため、不動産の評価額をできるだけ高く見積もろうとします。その根拠として、最も高値が出やすい「実勢価格(時価)」を主張し、しばしば不動産業者の簡易査定書を提示してきます 。
・請求された側の論理(低額評価):一方、支払う側は、金額を抑えるために、より低い評価額を主張します。その根拠として、公的な評価額である「固定資産税評価額」や「相続税路線価」を用いることを提案します 。
・法的な現実:当事者間で合意に至らない場合、最終的に裁判所(調停・訴訟)は「実勢価格」を基準に判断します 。しかし、交渉や調停の段階では、両者が提示する評価額の中間的な金額で合意が図られることも少なくありません。 - 戦略的な対応:請求者が提示した評価額をそのまま受け入れて良いとは限りません。請求された方としても民間の不動産業者に査定意見を求めることはもちろん、国家資格を持つ不動産鑑定士に正式な鑑定評価を依頼することも対策としては有効です。不動産鑑定士による鑑定評価書は、単なる不動産業者の査定書よりも法的証明力が高く、土地の不整形、接道状況の悪さ、法的な建築制限といった、請求者が見過ごしている可能性のある減価要因を客観的に明らかにし、評価額を引き下げる強力な根拠となります(ただし費用がかかります) 。
3.2 「特別受益」による反撃
支払額を減額するための最も強力な法的手段は、請求者自身が被相続人から生前に受けた贈与、すなわち「特別受益」を主張することです。これは、「あなたの遺留分は、すでに生前の贈与によって一部(あるいは全部)支払済みです」という反論になります 。
- 立証責任の所在:請求者が受けた特別受益を主張する場合、その贈与の事実を証明する責任は、請求された側にあります。これは非常に困難な作業となる場合があります。
- 証拠収集の方法:
・被相続人の預金通帳や取引履歴を金融機関から取り寄せ、請求者への高額な資金移動がないかを確認する 。
・被相続人が残した手紙、日記、メールなどに、資金援助に関する記述がないかを探す。
・贈与が不動産であった場合は、法務局で不動産登記事項証明書を取得し、所有権移転の経緯を確認する 。
・その他、学費の納付書、自動車の車検証なども証拠となり得ます。 - 相手の反論を予測する:特別受益を主張した場合、請求者からは以下のような反論が予想されます。これらに対して再反論できるよう準備しておく必要があります。
・「贈与ではなく貸付だった」→ 借用書や返済の事実がないことを指摘する。
・「通常の生活費の援助であり、特別受益には当たらない」→ 扶養義務の範囲を明らかに超える、特定の資本形成を目的とした贈与であったことを主張する 。
・「贈与は私ではなく、私の配偶者(または子)に対してなされたものだ」→ 実質的には請求者本人への贈与であったことを状況証拠から立証する必要がある 。
3.3 「寄与分」の罠:よくある誤解
「寄与分」とは、被相続人の財産の維持または増加に「特別な寄与」をした相続人(例:無償で家業に従事した、長期間にわたり重度の介護を行ったなど)に対して、その貢献度に応じて相続分を増やす制度です(民法904条) 。
しかし、ここには極めて重要な法的原則があります。寄与分は、あくまで「遺産分割協議」の場で考慮されるべきものであり、遺留分侵害額請求に対する直接的な反論・減額事由として主張することはできません 。「私が長年、親の介護をしたのだから、その分あなたの遺留分は減額されるべきだ」という主張は、法的には認められません。このような主張は交渉を感情的にこじらせるだけで、法廷では通用しないことを理解しておく必要があります。
フェーズⅣ 紛争解決の道筋
当事者間の交渉で合意に至らない場合、紛争は法的手続きへと移行します。
4.1 当事者間の直接交渉(協議)
法的手続きに移行する前に、まずは当事者間で直接話し合い、裁判外での解決を目指すのが一般的です。
- 目標:裁判所の介入なしに、双方が合意できる解決点を見出すこと。
- 合意書の作成:交渉がまとまった場合、その内容を必ず書面(合意書または和解書)に残す必要があります。合意書には、支払金額、支払時期、支払方法を明記するとともに、「本件に関し、本書に定めるほか、何らの債権債務がないことを相互に確認する」といった趣旨の清算条項を必ず盛り込みます。これにより、将来の紛争の蒸し返しを防ぎます 。
4.2 家庭裁判所における調停(遺留分侵害額の請求調停)
直接交渉が決裂した場合、次なるステップは家庭裁判所での調停です。
なお、一般的には、調停の申立てをするのは遺留分を請求する方であり、請求をされた側としては、調停の申立がなされた旨の連絡を待つ立場となります。
- 調停前置主義:日本の法律では、遺留分に関する紛争は、いきなり訴訟を提起することはできず、先に家庭裁判所に調停を申し立てなければならないと定められています(調停前置主義) 。
- 調停のプロセス:調停は、裁判官1名と、民間の有識者から選ばれた調停委員2名で構成される調停委員会が、当事者の間に入って話し合いを進める手続きです。これは白黒をつける裁判とは異なり、あくまで話し合いによる解決を目指す場です。調停委員は、当事者双方から個別に事情を聴取し、法的な観点や実情を踏まえた解決案を提示するなどして、合意形成を助けます 。
- 調停の成立と効果:調停で当事者双方が合意に達すると、その内容が調停調書に記載されます。この調停調書は、確定判決と同一の効力を持ち、法的な強制力を有します。
4.3 民事訴訟(遺留分侵害額請求訴訟)
仮に調停でも話し合いがまとまらず、不成立により調停が終了となった場合、請求者は最終手段として訴訟を提起することができます (なお、ケースによっては調停を経ずに訴訟が提起されることもあります。これに対しては、そのままま訴訟に対応する方が良い場合もありますし、調停から始めるべきであるとの対応をした方が良い場合もあるでしょう。)。
- 訴訟の提起:請求金額に応じて、地方裁判所または簡易裁判所に訴状が提出されます。
- 訴訟のプロセス:訴訟は、当事者双方が証拠を提出し、法的な主張を戦わせる、完全な敵対型のプロセスです。最終的には、裁判官が法と証拠に基づいて判決を下し、紛争に終止符を打ちます 。訴訟は、最も時間と費用を要する手続きであり、当事者間の感情的な対立も深刻化する傾向にあります。
調停は、単なる義務的な手続きではなく、紛争解決のための重要な機会です。中立的な第三者が介入することで、当事者だけでは見出せなかった客観的な視点や妥協点が生まれ、感情的な対立が緩和されることも少なくありません。調停の場で、自らの主張を論理的かつ証拠に基づいて説得的に提示することが、有利な解決を引き出す鍵となります。
フェーズⅤ 金額の確定と支払い
交渉や法的手続きを経て支払うべき金額が確定したら、最終段階である支払いの実行に移ります。ここでも、いくつかの重要な法的原則と実践的な選択肢が存在します。
5.1 金銭支払の原則
遺留分に関する紛争解決において、最も重要な法的変更点が2019年7月1日の民法改正です。この改正により、遺留分侵害額請求は、原則として**金銭の支払いを求める権利(金銭債権)**へと一本化されました 。
- 改正がもたらす意味:この変更は、請求された側にとって極めて大きな意味を持ちます。かつて(改正前)は、遺留分を侵害された相続人は、侵害された割合に応じて不動産の共有持分や株式そのものを「現物で返せ」と請求できました。これにより、請求された側は、対立関係にある親族と不動産を共有せざるを得なくなるなど、新たな紛争の火種を抱えることになりました 。
- 現在のルール:現行法の下では、請求された側は、相続した家や株式の所有権の一部を請求者に譲渡する義務はありません。法的な義務は、あくまで侵害された遺留分に相当する価額を金銭で支払うことです 。どのようにしてその資金を調達するか(自己の預金から支払う、他の資産を売却する、不動産を担保に融資を受けるなど)は、原則として請求された側の裁量に委ねられています。この原則は、請求された側の財産管理の自由度を保護する上で、強力な盾となります。
5.2 現金での支払いが困難な場合の対応策
相続財産の大部分が自宅不動産など、すぐに現金化できない資産である場合、多額の金銭を一度に支払うことは現実的に困難です。このような状況に対応するため、法律上および交渉上のいくつかの選択肢があります。
5.2.1 裁判所による支払期限の許与
一括での支払いが著しく困難な事情がある場合、請求された側は、調停や訴訟の過程で裁判所に対して支払期限の延長(許与)を求めることができます (民法1047条5項)。裁判所が相当と認めれば、一定期間の支払猶予が与えられます。この制度を利用することで、履行遅滞による遅延損害金の発生を防ぎながら、資金調達のための時間を確保することが可能です。
5.2.2 現物による支払い(代物弁済)と税務上の罠
当事者双方が合意すれば、金銭債務の代わりに不動産や株式などの現物資産を譲渡することで弁済する「代物弁済」も可能です 。これは、手元に現金がない場合の現実的な解決策となり得ます。
しかし、この選択肢には重大な税務上の罠が潜んでいます。日本の国税庁は、この代物弁済を**「資産の譲渡」**とみなします。つまり、請求された側(支払者)は、自身の金銭債務を消滅させるために、その資産を時価で請求者に「売却」したと扱われるのです。その結果、もしその資産が被相続人の取得時から値上がりしていれば、その値上がり益(譲渡所得)に対して、支払者であるあなたに譲渡所得税および住民税が課税されます 。これは、多くの人が見落としがちな、予期せぬ高額な税負担につながる可能性があります。
5.2.3 分割払いの交渉
現実的な解決策として、請求者との交渉により、分割での支払いを合意することも考えられます 。
さいごに 専門家への相談の重要性
遺留分侵害額請求への対応は、複雑な法律論、税務、感情的な対立が絡み合う、極めて専門性の高い領域です。独力での対応は、致命的な過ちを犯すリスクを伴います。
6.1弁護士に依頼する理由とタイミング
- 依頼すべきタイミング:正式な請求、特に内容証明郵便を受け取った直後です 。早期に専門家が介入することで、初期段階での誤った対応を防ぎ、有利な交渉戦略を立てることが可能になります。
- 依頼する理由:
・正確な分析・計算:資産評価や特別受益の認定といった複雑な計算を、法的根拠のある形で行うことができます。
・戦略的な交渉代理:弁護士が代理人となることで、感情的な対立から距離を置き、冷静かつ法的な論理に基づいた交渉を進めることができます。
・ - 法的手続きの専門的管理:時効管理、書面作成、調停・訴訟への対応など、専門的な手続きをすべて任せることができ、手続き上のミスによる不利益を回避できます。
6.2 まとめ 終局的かつ有利な解決を目指して
遺留分侵害額請求への対応は、単に金銭を支払って終わる問題ではありません。それは、法的な権利と義務、複雑な資産評価、そしてしばしば深い感情的な対立が交錯する、多面的な問題です。
核心戦略は、①即時かつ冷静な初期対応、②徹底的な事実確認と法的検証、③証拠に基づく論理的な計算と交渉、そして④専門家の活用に集約されます。請求を無視することなく、まずはその法的正当性を時効や権利者の適格性といった観点から厳しく吟味すること。次に、請求者が提示する資産評価や贈与の解釈を鵜呑みにせず、不動産鑑定や特別受益の調査を通じて、客観的な根拠に基づいた支払額を自ら算出すること。これが、不利な立場から交渉の主導権を取り戻すための不可欠なプロセスです。
そして最終的な目標は、単に支払いを済ませることではなく、終局的な紛争解決を達成することにあります。当事者間で合意した内容は、必ず清算条項を含む合意書や、法的強制力を持つ調停調書といった形で文書化しなければなりません。これにより、将来再び同じ問題で争いが生じるリスクを完全に断ち切り、精神的にも経済的にも安定した未来を確保することができるのです。この一連のプロセスを確実かつ有利に進めるために、早期の段階で経験豊富な弁護士に相談することは、コストではなく、最良の結果を得るための最も賢明な投資と言えるでしょう。